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三芳野神社に猫が参拝!“通りゃんせ”発祥の地の魅力とは?

rurima

にゃんにゃ~ん♪ ぼく、アメリカンカールのルリマ!今日は川越の三芳野神社の歴史について、ふわふわのしっぽを揺らしながらじっくり語るにゃよ。
長い歴史をもつこの神社、どんな時代を経てきたのか、ぼくと一緒に探ってみるにゃ!

アドセンス

三芳野神社の歴史と神様

創建の背景

三芳野神社のはじまりは、とても古いにゃ~。
平安時代以前 から信仰の対象とされていたことが記録に残っているんだにゃよ。この神社は、もともと 川越城ができるよりもずっと前から 存在していたんだにゃ。

やがて時代が進み、川越の地に川越城が築かれたのは1457年(長禄元年)。
太田道真・道灌親子によって造られたんだにゃ。川越城ができると、三芳野神社はその城の守護神のような存在として位置づけられることになったんだにゃよ。

今の社殿が建てられたのは江戸時代の寛永元年(1624年)。時の川越藩主・酒井忠勝が、3代将軍徳川家光の命を受けて造営したものなんだにゃ!
江戸幕府の影響が強くなった時代に、この神社も大きく生まれ変わったんだにゃ。

この時の造営では、酒井忠勝が工事を監督し、鈴木近江守長次という人が建築を担当したんだにゃ。
そして翌年の寛永2年(1625年)には、天海大僧正を導師として遷宮式が行われたんだって!天海といえば、徳川家と深く関わった高名な僧侶だにゃ。
つまり、この神社は当時の幕府からもとっても重要視されていたってことだにゃ。

さらに、明暦2年(1656年)には4代将軍・徳川家綱の命を受け、川越城主・松平信綱が大改修を行ったにゃ。
この改修では、なんと江戸城二の丸にあった東照宮の本殿を移築し、三芳野神社の本殿としたんだにゃ!つまり、江戸城の格式高い建物がそのまま三芳野神社に移されたということなんだにゃ。
これによって、三芳野神社は一気に権現造りの立派な神社へと生まれ変わったんだにゃ。

このころ、幕府が直接管理する神社は全国に3,000社ほどあったと言われるけど、幕府の命令で江戸城の建物が移築されるような神社にゃんてなかったにゃ。それだけ三芳野神社が重要視されていたことがわかるんだにゃ。

今では静かに佇んでいる神社だけど、かつては川越城の城内にあり、江戸幕府にとっても重要な場所だったんだにゃね。
にゃんとも不思議で、奥深い歴史を持つ三芳野神社。これからも、川越の大切な歴史の一部として、多くの人に大切にされ続けるんだにゃ~!

祀られている神様

三芳野神社には、素盞烏尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、菅原道真(すがわらのみちざね)、誉田別尊(ほんだわけのみこと)が祀られているんだにゃ。
どの神様も、それぞれ特別な力を持っていて、昔からたくさんの人々に崇敬されてきたんだにゃ

まずは、素盞烏尊(スサノオノミコト)にゃ!彼は、嵐や海の神として有名で、力強くて勇敢な存在にゃん。
でも、その性格はちょっぴり荒々しくて、天界ではお騒がせな神様だったんだにゃ。でもね、このスサノオ様にはとても勇敢で優しい一面もあるんだにゃ。

特に有名なのが、「ヤマタノオロチ退治」の伝説にゃ!
恐ろしい大蛇・ヤマタノオロチが人々を苦しめていたとき、スサノオ様は見事にこの怪物を退治し、美しい姫:奇稲田姫(クシイナダヒメ)を助けたんだにゃ。
この出来事から、スサノオ様は「厄除け」や「災難を退ける神」として信仰されているんだにゃ。

三芳野神社にスサノオ様が祀られているのも、川越という土地が昔から戦乱や災害を乗り越えてきた歴史と関係があるかもしれないにゃ。
強い守護の力を持つスサノオ様が、川越の人々を見守ってくれているんだにゃよ。

次に、奇稲田姫命(クシイナダヒメ)にゃ。この神様は、スサノオ様に救われた姫であり、稲作や豊穣の象徴とされる神様なんだにゃん。

名前に「稲(いね)」の字が入っていることからもわかるように、奇稲田姫は田んぼの神様として、農作物の豊かな実りをもたらすんだにゃ。
昔の日本では、お米がとても大事な食べ物だったから、彼女の存在はとても重要だったんだにゃよ。だから、三芳野神社にお参りすると、五穀豊穣や家族の平穏を願うことができるんだにゃ。

また、奇稲田姫は安らぎや家庭円満の神でもあるにゃ。
スサノオ様との結婚後、彼は少しずつ穏やかになり、夫婦で平和な暮らしを築いたと言われているんだにゃ。つまり、奇稲田姫は「家族を守る神様」でもあるんだにゃよ。

さて、次に紹介するのは、菅原道真(スガワラノミチザネ)様にゃ!道真公といえば、学問の神様として有名な天神さまなんだにゃ。学校の試験前や、合格祈願のためにお参りする人も多いよね。

菅原道真様は、平安時代のとっても頭のいい人で、詩や政治に長けていたんだにゃ。
でも、朝廷内の権力争いに巻き込まれて、九州の大宰府に左遷されてしまったんだにゃよ。その後、道真様は無実のまま亡くなってしまうんだけど、彼の死後、都では雷や洪水などの天変地異が起こり、「これは道真公の怒りではないか?」と恐れられたんだにゃ。

そこで、朝廷は道真様を神として祀ることにしたんだにゃん。その結果、彼は「学問の神」として全国の天満宮に祀られるようになったんだにゃ。
三芳野神社にも道真様が祀られているのは、川越が寺子屋や学問の盛んな城下町だったこととも関係しているかもしれないにゃ。

道真様にお願いすれば、「勉強がはかどるようになる」「知恵が授かる」って言われているから、受験や試験の前にお参りするのもいいかもしれないにゃね。

最後に紹介するのが、誉田別尊(ホンダワケノミコト)にゃ!この神様は、実はとても有名な歴史上の人物、応神天皇(おうじんてんのう)のことなんだにゃ。

応神天皇は、日本の武士の祖先とも言われている神様で、武運や勝負運をもたらす神様として信仰されているんだにゃ。
だから、戦国時代の武将たちも、勝負事の前に誉田別尊を祀る神社で祈願していたんだにゃよ。

川越は、戦国時代にとても重要な城下町だったから、きっと武士たちが「戦で勝てますように!」とお参りしたこともあったにゃん。
今でも、スポーツや仕事で成功を願う人が誉田別尊にお願いすることがあるんだにゃ。

「とおりゃんせ」発祥の地

三芳野神社は、日本中で知られている童謡「とおりゃんせ」と深いつながりを持っているんだにゃよ。

「とおりゃんせ」といえば、信号機のメロディーとしても有名にゃけど、その歌詞にはどこか不思議な雰囲気があるにゃ。
「ここはどこの細道じゃ」と始まるフレーズは、まるで古い時代の情景を映し出すようだし、「行きはよいよい、帰りはこわい」という部分には、何かしらの意味が込められているように感じるにゃん。

実は、この歌の舞台が三芳野神社だといわれているんだにゃ。むかし、この神社は川越城のすぐそばにあったため、城の中に住む人たちしか参拝することができなかったんだにゃ。
でも、七五三や初宮詣りのときだけ、特別に城外の庶民もお参りを許されたんだにゃよ。
つまり、「行きはよいよい」は、お参りのために神社へ行くのは問題ないという意味にゃ。でも、「帰りはこわい」というのは、城のルールが厳しく、行きと同じようには簡単に戻れなかったことを示しているともいわれているにゃん。

この「帰りはこわい」が何を指しているのかについては、いくつかの説があるにゃ。
ひとつは、城の出入りに厳しい決まりがあったため、お参りが終わってもすぐには帰れず、何かしらの手続きや許可が必要だったのかもしれないというものにゃ。
また、当時の武家社会では、城内に入った一般の人が無事に出られる保証はなかった、なんて話もあるにゃよ。

そして、もうひとつ興味深いのが、三芳野神社が「異界との境目」として語られることがある点にゃ。
この神社がある「三芳野の里」は、昔から「隠れ里」や「異界への入り口」とされることがあったんだにゃ。
だから、「とおりゃんせ」の歌詞には、単なる物理的な怖さだけじゃなく、神聖な場所へ足を踏み入れることへの畏れも込められていると考えられるにゃん。
ぼくたち猫は、夜の静けさや見えないものの気配を感じることが得意にゃけど、この神社にもそんな神秘的な空気が漂っていたのかもしれないにゃね。

でも、「とおりゃんせ」の歌が持つ意味は、怖い話だけじゃないにゃ。
昔の人たちにとって、神社へのお参りはとても大切な行為だったにゃ。
とくに子どもの成長を願う儀式は特別で、厳しいルールがあってもどうしても神様に祈りたいという気持ちがあったんだにゃよ。
それだけ、三芳野神社が信仰の場として大事にされていた証拠だにゃん。

今では、三芳野神社は誰でも自由にお参りできるにゃ。
昔は特別なときにしか行けなかった場所が、いまでは気軽に訪れることができるって、すごいことにゃね。ぼくももし昔に生まれていたら、城の門の前で「にゃ~ん、入りたいにゃ~」って鳴いていたかもしれないにゃ。

にゃ~、こうして考えると、「とおりゃんせ」ってただの童謡じゃなく、長い歴史の中で生まれた奥深い歌だったんだにゃ。
昔の人たちが願いや祈りを込めてこの神社に通ったように、これからも大切にされ続けてほしいにゃん。さぁ、ぼくも三芳野神社の近くで気持ちよくお昼寝でもしようかにゃ~!

三芳野神社は猫の集会所?

三芳野神社には昔から猫たちがよく集まるって知ってたかにゃ?
神社と猫の組み合わせは、なにか特別な意味を持っているように思えるにゃ~。

三芳野神社の境内は、静かで落ち着いた空間にゃ。参道には大きな木々が生い茂り、鳥のさえずりが響き、風が心地よく吹き抜けるんだにゃ。
そんな穏やかな環境は、ぼくたち猫にとって最高のリラックススポットにゃよ!静かで安全な場所を好む猫たちが、ここに集まるのは自然なことかもしれないにゃ~。

特に神社って、人の出入りはあるけれど、激しく騒がしいことは少なく、穏やかに時間が流れる場所にゃよね。
だから、のんびり日向ぼっこをしたい猫たちにはぴったりの場所なんだにゃ。石畳の上や、拝殿の近くの木陰なんかで、気持ちよさそうに寝ている猫たちを見かけることがあるにゃよ。

三芳野神社に集まる猫たちは、地元の人たちにも愛されているんだにゃ。参拝に来た人が「この前もここで猫を見かけたよ」なんて話すことがあるにゃ~。
神社に来る猫たちは、人間に慣れていて、ゆったりとした雰囲気を持っていることが多いにゃ。時々、猫好きの参拝者がそっと近づいて、「かわいいねぇ」と話しかけたり、写真を撮ったりしている姿も見かけるにゃよ。

でも、ぼくたち猫は気まぐれな生き物だから、いつでも同じ場所にいるわけじゃないんだにゃ。その日の気分や天気によって、お気に入りの場所を変えるのが猫流にゃ。
だから、三芳野神社に行っても必ず猫に会えるとは限らないけれど、運が良ければ、どこかで猫がひょっこり顔を出しているかもしれないにゃ~。

神社にやってくる猫たちは、それぞれ自由気ままに過ごしているにゃ。境内をのんびり歩いてみたり、石段の上で日向ぼっこをしていたり、時には鳥を眺めて狩りの本能をくすぐられている子もいるかもしれないにゃ。特に朝や夕方は、涼しい時間帯で過ごしやすいから、猫たちがよく現れる時間帯にゃよ。

中には、神社の周りを自分の縄張りとしてパトロールしている猫もいるかもしれないにゃ。「ここはぼくのテリトリーにゃ!」と、しっぽをピンと立てながら境内を歩く猫の姿を想像すると、なんだか誇らしげに見えるにゃね。

三芳野神社の近くには、市立博物館と美術館があるので合わせて行くのがおすすめにゃん。
少し川越駅からは離れているから、バスで行くのがおすすめにゃよ〜

さぁ、ぼくも三芳野神社の近くで気持ちよくお昼寝でもしようかにゃ~!

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ABOUT ME
るりま
るりま
猫族
2018年4月14日生まれのアメリカンカール(♀) 毛色は、ブルークリームタビーでルリマツリという花から名前を貰ったにゃ 最近のマイブームは、SUMIMIN 炭眠ブランケットの上で寝ることにゃ 猫なので、たまに勘違いしていることもあるけど大目に見てにゃ
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