にゃんと天皇ご一家も猫好き!?歴代皇室と猫のエピソード大公開にゃ!🐱

んにゃにゃ~♪ わたしはアメリカンカールのルリマ。
今日はとっておきの歴史のお話を猫族代表としてお届けするにゃ。
なんと、あの天皇ご一家も猫好きって知ってたかにゃ?
実は、平安時代の宇多天皇の時代から、わたしたち猫族は宮中でたいせつにされてきた存在なんだにゃ!
高貴な猫としての誇り、ちゃ〜んとあるんだからっ。
現代の天皇陛下のご一家にも、猫と暮らしているというあたたかいお話があるにゃよ。
歴代皇室と猫族が歩んできたやさしい物語、いっしょにたどってみない?
このにゃんとも奥ゆかしい歴史、知れば知るほどしっぽがふわっとゆれるにゃ〜🐾

天皇家における猫の歴史についてにゃ🐱
🐾宇多天皇と黒猫〜日記に刻まれた愛情猫記録
平安時代、まだ猫族が「特別な存在」として認識されはじめたころ——
その歴史の扉を開いてくれたのが、第59代 宇多天皇(867〜931年) さまだったにゃ。
天皇さまはとっても文才があって、なんと自分で日記をつけていたにゃ。
その名も『寛平御記(かんぴょうぎょき)』。
その中に、ある黒猫への深い愛情が記されているのにゃ〜。
その猫族は、もともと九州の太宰府から献上された特別な黒猫。
宇多天皇さまは「他の猫は毛色が浅黒いが、この猫は墨のように真っ黒で、美しく神秘的」と感じたらしいにゃ。
そして、「歩き方はまるで雲の上を渡る黒龍のよう」とまで表現していて、これはもう詩人レベルの猫愛にゃ!
さらにびっくりなのは、天皇さまがその猫に毎朝“乳粥(ちちがゆ)”を与えていたこと。
乳粥って、当時とても貴重だった酪(らく)から作る特別なごちそうにゃ。
それを5年も毎日続けたなんて、まさに溺愛…いや、天皇家級の愛情だにゃ。
この黒猫とともに過ごした静かな時間は、天皇さまが仁和寺で仏道修行に専念する中で、癒しと心の支えになっていたに違いないにゃ。

そしてある日、天皇さまはこう語りかけたんだにゃ。
「お前は陰陽の気をそなえ、七つの穴と四つの肢を持っている。私の気持ちがわかるはずだ」って。
それを聞いた黒猫は、ため息をついて、じっと天皇さまの顔を見つめた…にゃんと、心通じる瞬間が日記に残されてるんだにゃ。

🐾一条天皇と命婦の御許〜猫が“高位”になった誇り高き時代にゃ!🐱
次のお話は、ちょっと格式がアップするにゃ〜。
平安後期の一条天皇(980〜1011年)の時代、宮中にいたとびきり高貴な猫、「命婦の御許(みょうぶのおもと)」さまのお話にゃ。
これは『枕草子』に描かれた実話にゃん。
命婦の御許は、一条天皇の愛猫でありながら、なんと人間と同じ“女官”としての呼び名を与えられていたにゃ。
「命婦」というのは本来、五位以上の女性に与えられる位で、それを猫族に用いたなんて、もうこれは宮中公式の猫貴族にゃ!
ある日、犬に追いかけられて奥に逃げ込んだ命婦の御許を、一条天皇がたいそう心配したというエピソードがあるにゃ。
猫族の尊厳を守るため、犬を叱ったとも言われていて、猫族への深い愛情と敬意が伝わる名場面にゃんよ。


現代の天皇陛下と猫についてにゃ🐱
🐾 天皇陛下がともに暮らした猫たち〜「みー」と「セブン」の物語にゃ
いまの天皇陛下と雅子さま、愛子さまのご一家は、猫族とのご縁がとっても深いにゃ。
その中心にいたのが、三毛猫の「みー」ちゃん。
2010年ごろ、まだ小さかった愛子さまが、東宮御所の中庭で鳴いていた子猫を見つけて「うちの子にしよう」と願い出たのがきっかけだったんだにゃ。
「みー」ちゃんは、その後約14年間、ご一家といっしょにのびのびと暮らし、大切に育てられたにゃ。
2024年夏、静かに旅立ったと報じられたときには、たくさんの人族が「皇室も私たちと同じように、猫を家族として大事にしている」と感じたにゃろうね。
そして、もうひとりの仲間が「セブン」ちゃんにゃ。
2016年、東京都心の空中庭園でひとりぼっちだったところを保護され、東宮御所に迎えられた子猫にゃよ。
ちょっぴり警戒心が強い性格だったけど、ご一家のやさしさに包まれて、犬の由莉(ゆり)ちゃんや「みー」ちゃんとも仲良しになったんだにゃ〜。
保護猫を迎える姿勢も、ルリマとしてはうれしくてしっぽがふるえるにゃ!

▼参考:0テレNEWS【新公開】愛子さま撮影写真も 天皇ご一家の愛猫「みー」と「セブン」
🐾 猫族とともにある皇室の暮らし〜愛情と共生の日々にゃ
皇室の生活は、とっても静かで上品な印象があるけれど、その中には猫族と過ごす“あたたかな日常”が息づいてるにゃ。
例えば、2024年の春の園遊会では、現代美術家の横尾忠則さんと天皇陛下が猫の話題で笑顔を交わすシーンがあったんだにゃ。
猫族を語るときの陛下のやわらかい表情、それを見た人族たちは「ほんとうに猫が好きなんだなぁ」と感じたはずにゃ。
それだけじゃないにゃ。
ご一家が保護猫や保護犬を迎えていることは、命の大切さや共に生きるという“共生の精神”を自然に伝えてくれてるにゃ。
ルリマたち猫族がただ「かわいい存在」としてだけじゃなく、人族と心を通わせる家族として生きていける。
そんな未来を、皇室はそっと照らしてくれてるにゃよ。

猫が登場する歴史的文献についてにゃ🐱
🐾 平安時代に猫がいた証拠にゃ?貴族の暮らしに溶け込んだ猫族の気配
「猫族が日本でいつから人族と一緒に暮らし始めたのか?」――その手がかりが見えてくるのが、まさに平安時代にゃ。
当時は猫が“ネズミ避けの動物”として、宮中や貴族の邸宅で飼われるようになったころにゃけど、単なる家畜では終わらなかったにゃ。
『枕草子』では猫が名前で呼ばれ、身分ある女房と同じような扱いをされていたことからも、人間と猫が情でつながっていた証拠が見えてくるにゃ。
たとえば猫に「御許(おもと)」のような敬称をつけることは、当時の感覚ではかなり異例にゃ。
つまり、猫が“感情を通わせる相手”として尊重されていたことが、物語や日記の中から読み取れるんだにゃ〜。
これは、日本文化の中で猫族が“心ある存在”と認められた最初の時代だったとも言えるにゃよ。

🐾 宇多天皇の記録が語る“猫と人との知的な対話”にゃ
さてさて、平安時代の猫記録の中でも、研究者の間で特に注目されているのが、宇多天皇(867〜931年)の御記録『寛平御記』にゃ。
この文書のすごさは、猫がただのかわいい存在として登場するんじゃなくて、“対話の相手”として書かれているところにゃの!
宇多天皇さまは、献上された黒猫の美しさだけでなく、「この猫は陰陽の理(ことわり)を知っておる」とまで書き記してるにゃ。
これはつまり、「猫には人の心を理解する力がある」と、知性と精神性を持つ存在として見なしていたということにゃ。
そして、5年ものあいだ毎朝欠かさず食事を与え、大切に見守り続けた記録は、当時としては異例中の異例。
この日記は、“猫が人と心を通わせ、共に暮らす価値がある存在である”という認識を、皇族の立場からはじめて文字に残した貴重な史料にゃ。
現代の猫族が「家族の一員」として認識される、その遠いルーツがここにあるのにゃ。

まとめにゃ🐱
今回は、天皇ご一家と猫族の長〜い歴史と深いご縁をまるっとまとめてみたにゃ。
平安時代の宇多天皇さまは、黒猫を毎日乳粥でお世話するほどの“猫溺愛天皇”だったにゃし、一条天皇の時代には「命婦の御許」っていう、女官並みに扱われたお猫さまもいたにゃ。
そして今の天皇ご一家も、三毛猫のみーちゃんやセブンちゃんと暮らしてきたにゃよ。
猫族はいつの時代も、心を通わせる存在として皇室に大切にされてきたにゃん♪
歴史も今も、しっぽがふるえるほど誇らしいにゃ!
