猫好き文豪vs犬好き文豪にゃ🐱日本文学の名作に隠された動物愛とは?

rurima

にゃにゃっ、こんにちは🐾
アメリカンカールのルリマだにゃ!🐱

ご主人様、今日はとっておきのお話を持ってきたにゃ。
それは『文豪と犬と猫 偏愛で読み解く日本文学』という本にゃん。

犬好き文芸評論家の宮崎智之さんと、猫好き文筆家の山本莉会さんが往復書簡のかたちで語り合い、文豪たちと犬猫の関係を解き明かしてくれる一冊にゃ。
読んでいると、犬派も猫派も、そして日本文学も一段と好きになっちゃうのにゃん。

たとえば夏目漱石は猫より犬派だったって知ってた?
作品『吾輩は猫である』で猫のイメージが強いけど、実は犬の方に深い愛情を注いでいたにゃん。

他にも、内田百閒が愛猫ノラを探して新聞広告を出したエピソードや、谷崎潤一郎がペルシャ猫を剥製にしてそばに置いた逸話など、意外でちょっと切なく、でも心があったかくなる話が満載にゃ。

文豪たちは犬や猫をただ可愛がるだけじゃなく、文学のインスピレーションの源として寄り添わせていたんだにゃ。
だから彼らの作品には、人間だけでは描ききれない「孤独」「美」「自由」といったテーマが、犬や猫を通じて豊かに描かれているのにゃん。

犬は忠誠と共感を運んでくれるし、猫は自由と気まぐれで人を魅了するにゃ。
そうやって文豪たちは犬猫とともに生きることの意味や文学の深みを描いてきたんだと思うにゃん。

この記事を読めば、きっと犬も猫も、そして文豪文学の世界もますます好きになるにゃ🐾✨。

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文豪と犬と猫 偏愛で読み解く日本文学を読んだにゃ🐱

にゃんとね、人族の文豪たちは、作品の背後に犬や猫への深〜い愛情を秘めていたんだにゃ。

今回読んだ『文豪と犬と猫 偏愛で読み解く日本文学』(アプレミディ刊)は、そんな文豪の犬派と猫派をめぐる偏愛を、犬好きの文芸評論家・宮崎智之さんと、猫好きの日本文学マニア・山本莉会さんが、往復書簡という形で語り合うユニークな一冊にゃん🐾

本の中では、夏目漱石・内田百閒・志賀直哉・谷崎潤一郎・川端康成・森茉莉・幸田文・室生犀星・坂口安吾・三島由紀夫・遠藤周作・二葉亭四迷といった名だたる文豪たちが登場するにゃ。

しかも、ただの文学論じゃなくて、「漱石は実は犬派だった!?」「谷崎潤一郎は猫に使われたい願望があった!?」なんて、ちょっと驚いちゃう視点から語られるのにゃ。

ページをめくるたびに、ぼくたち猫族や犬族が、いかに文豪たちの生活や創作に寄り添っていたかが見えてくるんだにゃ〜。🐶🐱

例えば、内田百閒と猫「ノラ」の切ない物語や、坂口安吾と犬のダイナミックな関わり方など、ただのエピソード以上に、作家の人となりや文学観まで映し出されているのにゃ。

装丁イラストは花松あゆみさん、デザインは小川恵子さん。
表紙からして「犬派も猫派も大歓迎!」という雰囲気で、とっても親しみやすいのにゃ。

この本を読めば、犬も猫も日本文学も、もっとずっと好きになること間違いなしにゃ!✨

「文豪×犬猫」という組み合わせはありそうでなかった切り口。
気になる人族は、ぜひ手に取ってみるといいにゃん🐾

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犬派にゃ!宮崎智之の紹介🐶

宮崎智之さんは、東京生まれの文芸評論家・エッセイストにゃ。

著書『平熱のまま、この世界に熱狂したい』(ちくま文庫)や『モヤモヤの日々』(晶文社)で知られ、さらに文庫本の解説や文芸誌の月評まで幅広く手がける、まさに現代文学の案内人なんだにゃ。

犬派としても有名で、エッセイや評論の中にも「犬との暮らしから得た視点」がにじんでいるにゃん。文学作品の細部を読み解く洞察力と、犬への愛情が合わさって、独特のあたたかさと説得力を生み出してるんだにゃ〜🐾

『文學界』での「新人小説月評」を担当するなど、若手作家の才能発掘にも尽力している姿は、犬の忠実さと重なる気がするのにゃ。

宮崎さんの文章は、知的でありながら日常の熱量も大事にするスタイル。
犬好きの人族にとっても、日本文学をもっと身近に感じさせてくれるはずにゃん。

猫派にゃ!山本莉会の紹介🐱

山本莉会さんは、大阪生まれの文筆家にゃ。
大学では日本文学を専攻し、広告代理店や編集プロダクションでの経験を経て、文学とエッセイの世界へと飛び込んだんだにゃ。

現在はAprès-midi公式noteで「東京文学散歩」を連載し、文学の舞台を自分の足でたどりながら、その魅力を発信しているにゃん。

そしてもちろん、猫派の代表格!🐾
作品やエッセイの端々に「猫と同じように自由で、しなやかな視点」があふれているにゃ。猫と文学を結びつけて読む楽しさを、人族にやさしく届けてくれる存在なんだにゃよ。

山本さんの文章は、猫族らしい遊び心と観察力が魅力。
文学をかしこまらずに味わえるように案内してくれるから、猫好きさんはもちろん、日本文学ファンにもぐっと刺さるにゃ〜。

文豪たちの猫愛と犬愛🐶🐱

日本文学を彩った文豪たちは、ただペンを走らせるだけじゃなく、犬や猫との暮らしからも大きな影響を受けていたんだにゃ。

「犬派」か「猫派」かという違いは、作品のテーマや描写にまで表れていて、まるでペットが文学の裏の共演者みたいにゃん。
ここでは、それぞれの文豪がどんなふうに犬や猫と向き合ったのかをちょっとだけ紹介していくにゃ🐾

夏目漱石と犬にゃ🐶

にゃんと、『吾輩は猫である』で有名な夏目漱石は、実は猫より犬の方が好きだったという逸話が残っているんだにゃ。

漱石が飼っていた猫には「ねこ」としか呼ばず名前をつけなかったのに対し、愛犬にはギリシャ神話の英雄にちなんで「ヘクトー」と名付けるほどの思い入れがあったのにゃん。

さらに漱石自身が「犬の方が好きだよ」と語った記録もあるほどで、犬との散歩や生活が彼の心を和ませていたらしいにゃ。
愛犬が病気になるとお見舞いに出かけ、亡くなったときには裏庭にお墓を作ったという話も伝わっているにゃん。

こうした犬への深い愛情は、漱石の文学観にも影響を与えていると考えられるにゃ。
たとえば『坊っちゃん』や『それから』など、登場人物の人間臭さやリアリティの奥には、犬との関わりから育まれた「生身の感覚」や「生活への目」が隠れているのかもしれないにゃ🐾

「猫派の文豪」と思われがちな漱石が、実は犬派だった!
この意外な事実を知ると、『吾輩は猫である』のユーモアも、ちょっぴり別の角度で楽しめるにゃん✨

内田百閒と猫にゃ🐱

内田百閒といえば、愛猫「ノラ」との物語がとっても有名にゃん。
百閒先生は数多くの随筆を書いたけれど、その中でも『ノラや』は文学史に残る猫との別れの記録として知られているにゃ。

ノラは、気まぐれで自由で、まさに猫族らしい存在だったにゃん。
百閒先生はそんなノラを溺愛し、ときに人間の都合で叱ったりもしながら、深い絆を結んでいったにゃ。
だけど最後、ノラが姿を消してしまったとき、先生は心から取り乱してしまったんだにゃ…。

なんと、新聞広告に「ノラを探しています」と掲載して必死に呼びかけたほどの執念。
けれど結局、ノラは帰ってこなかったにゃ。
残された百閒先生は、その喪失の痛みを抱えながら『ノラや』を書き、猫族への限りない愛情と、別れの悲しみを文字に刻んだのにゃん。

このエピソードはただのペット日記じゃなく、猫との暮らしが人族の文学にどう結びつくかを示す貴重な証拠にゃ。
ノラを失った喪失感は、作品全体に「生きることの哀しさ」と「愛することの尊さ」を重ねていて、多くの読者の心を打ち続けているにゃん。

猫好きの人族が読むと、涙がこぼれちゃうくらい共感できるはずにゃ…。
内田百閒は間違いなく“猫派文豪”の代表格にゃん🐾

志賀直哉と犬にゃ🐶

「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉は、実はとっても動物好きな文豪だったんだにゃ。
犬はもちろん、鳩や家鴨(あひる)、雀、猿、さらには猫まで飼っていたんだけど、やっぱり一番好きだったのは犬にゃん🐾。

なかでも有名なのが、愛犬クマとのエピソードにゃ。
あるときクマが行方不明になってしまい、志賀先生は心配でたまらなかったんだにゃ。
ところが偶然、バスに乗っているときにクマの姿を見つけてしまった!
そこで迷わずバスを飛び降りて、全力で追いかけて捕まえたという話が残っているにゃん。

この行動からもわかるように、志賀直哉にとって犬はかけがえのない家族
その深い愛情は、彼の作品ににじみ出る温かさや人間観にもつながっていると言われているにゃ。

犬と過ごした日々は、志賀文学の背景にある「生命へのまなざし」を形づくる大切な要素だったのかもしれないにゃん🐶✨。
犬好き文豪と聞かれたら、志賀直哉の名前を忘れちゃいけないにゃ!

谷崎潤一郎と猫にゃ🐱

妖艶な文学世界を築いた谷崎潤一郎は、実は大の猫好き文豪としても知られているにゃん。特に溺愛したのが、ペルシャ猫の「ペル」
谷崎先生はこの猫を家族以上に大切にしていて、なんとペルが亡くなったあとには剥製にして書斎に置き、そばに置き続けたという逸話まで残っているにゃ🐾。

その愛情は作品の中にも色濃くにじみ出ていて、『猫と庄造と二人の女』など猫をモチーフにした小説も有名にゃ。
猫が持つ気まぐれで艶やかな雰囲気は、谷崎文学の「美」と「耽美性」とも響き合っているのにゃん。
まるで猫の自由さや不可解さが、人間の愛や欲望の象徴として描かれているように感じるにゃ。

とくに谷崎先生は、外国種の猫への強いこだわりを持っていて、エキゾチックな容姿のペルシャ猫に心を奪われたのもその美意識ゆえ。
猫をただ可愛がるだけでなく、文学的な美の存在として見つめていたのにゃ。

「猫派文豪」といえば谷崎潤一郎!
彼の猫愛を知ると、日本文学の読み方がぐっと広がって、猫族の存在がどれほど人族の想像力をかきたててきたかがよくわかるにゃん✨。

川端康成と犬にゃ🐶

ノーベル文学賞を受けた川端康成は、繊細で美しい文章を書く一方で、実は大の犬好きとしても知られていたにゃ。
彼は犬とともに暮らし、その観察眼を活かして昭和8年に『愛犬家心得』という随筆まで書き残しているんだにゃん。

この随筆では「犬は放し飼いにしてはいけない」など、犬と暮らす上での心得が丁寧に綴られていて、川端先生が単なる愛玩ではなく、犬を共に生きる存在として大切に考えていたことがわかるにゃ。
実際に複数頭の犬を飼っていたこともあり、その姿は作品の細やかな感性や、命を尊ぶまなざしにも重なっているんだにゃ🐾。

犬と過ごす日々から得た「生き物の純粋さ」「感情の透明さ」は、川端文学の核にある「美の感覚」を支えていたのかもしれないにゃ〜。

森茉莉と猫にゃ🐱

文豪・森鴎外の娘であり、独自のエッセイ世界を築いた森茉莉は、徹底した猫派文豪にゃん。とりわけ愛猫「ジュリエット」への偏愛ぶりは有名で、随筆や小説にもしばしば登場するにゃ。

ジュリエットを通して描かれるのは、ただのペットとの暮らしではなく、まるでメルヘンの世界そのもの。
猫の目から見た人族社会をユーモラスに切り取ったり、猫を通して「自由で夢のある生き方」を語ったりするんだにゃ。

エッセイ『黒猫ジュリエットの話』では、猫視点の描写で読者をファンタジーの中へ引き込んでいくにゃん。

森茉莉にとって猫は、現実からの逃避でもあり、美しく不思議な世界へ誘う案内人のような存在だったのにゃ。
ジュリエットを愛し抜いた彼女の感性は、文学と猫族の魅力が重なり合う唯一無二の世界を形づくっているにゃん✨。

幸田文と犬にゃ🐶

文豪・幸田露伴の娘として育った幸田文は、お父さんゆずりの犬好き文豪にゃん。
幼いころから犬と暮らし、その愛情は自然に日常へと溶け込んでいたにゃ。

エッセイや随筆の中でも犬との生活をいきいきと描き出していて、読んでいるとまるで一緒に犬と過ごしているような気持ちになるにゃん。

とくに面白いのは、娘さんの証言で「犬を笑わせるのが得意だった」というエピソード。
犬が嬉しそうに口をあけ、笑っているように見える仕草を上手に引き出していたんだにゃ〜。
これって、犬との信頼関係がとっても深くなきゃできないことにゃよ。

幸田文にとって犬は、ただのペットではなく家族の一員であり、心を通わせる相棒だったにゃ。
そんな犬たちとの交流が、彼女の作品に漂う温かさや、生活感に根ざした表現を支えていたのかもしれないにゃん🐾。

室生犀星と猫にゃ🐱

詩人であり小説家でもある室生犀星は、強烈な猫愛を抱いていた文豪のひとりにゃ。
生涯にわたってたくさんの猫や犬と暮らし、とくに猫との時間は作品にも大きく影響しているにゃん。

有名なのは、火鉢で猫と一緒にあたたまっている写真
その姿は、ただ可愛がるだけじゃなくて、まさに「猫と共に生きる」姿勢そのものにゃ。
随筆や詩の中では、猫のしぐさや気配を愛情深く描き出していて、猫を家族の一部として受け止めていたのがよくわかるにゃん。

小説の中では、猫が人と人とをつなぐ存在として登場することも多いにゃ。
家族の間を取り持つ猫…そんな描写からは、犀星にとって猫が単なる愛玩動物を超えて、人の心を癒し、関係を結ぶ媒介者であったことが伝わってくるにゃ🐾。

だからこそ犀星は「猫に目覚めた人」として知られ、猫族と共鳴しながら文学を紡ぎ続けたんだにゃ。

坂口安吾と犬にゃ🐶

無頼派の文豪として知られる坂口安吾は、その豪快な生き方の裏で、実はとっても犬好きだったんだにゃ。
とりわけ有名なのが、川端康成から譲り受けたコリー犬「ラモー」との絆にゃん。

安吾はラモーを家族のように大切にし、散歩や食事も共にするほど可愛がったにゃ。
時には犬と大格闘して怪我をしたこともあったらしいけど、それも「犬と真剣に向き合った証拠」みたいで、どこか安吾らしいエピソードにゃん🐾。

葬儀のときに川端康成が「ラモーを世話していたこと」を弔辞で語ったほど、犬と作家としての安吾は切り離せない存在だったんだにゃ。
無頼派の激しい文学の裏に、犬との優しい暮らしがあったと知ると、安吾の作品をまた違った目で読みたくなるにゃん。

三島由紀夫と猫にゃ🐱

鋭い言葉と華麗な肉体美で知られる三島由紀夫も、じつは猫を愛した文豪のひとりにゃん。しかもその愛し方がちょっとユニークで、なんと「猫がいつ来てもいいように机の引き出しに煮干しを常備していた」という話が残っているんだにゃ。

三島先生は完璧主義で知られていたけど、猫に対しては徹底的に甘く、気まぐれな来訪を心待ちにしていたにゃん。
猫が現れればすぐに煮干しを取り出して差し出す姿は、鋭いペンを握る文豪のイメージとは対照的で、とっても微笑ましいにゃ。

彼の作品には直接的に猫を描いたものは少ないけれど、「美しさ」や「自由さ」に魅了される視線は、まるで猫を見つめる眼差しのよう。
猫に心を許した瞬間が、三島文学の人間味や柔らかさにつながっていると考えると、とても興味深いにゃん✨。

遠藤周作と犬にゃ🐶

キリスト教文学や『沈黙』で知られる遠藤周作は、実は根っからの犬好き文豪だったんだにゃ。
とくに有名なのは、満州で飼っていた犬のクロとの思い出。遠藤先生はクロをまるで親友のように扱い、なんと悩みごとをクロに相談して喋りかけていたそうにゃん。

その姿は、シリアスな文学世界を描いた作家像とはちょっと違って、どこか人間くさくて温かいにゃ。
犬は遠藤先生にとって、心を開いて話せる相棒だったんだにゃん。

しかも遠藤先生は犬だけじゃなく、他の動物たちにも優しいまなざしを持っていたにゃ。
犬への深い愛情が、彼の「人間の弱さや優しさを描く文学観」にも影響していると考えられるにゃ🐾。

二葉亭四迷と猫にゃ🐱

日本近代文学の先駆者二葉亭四迷も、じつは猫好き文豪だったにゃん。
しかもその愛し方はとってもユニークで、猫を「しつける対象」ではなく、対等の存在として見ていたんだにゃ。

彼は「人と動物を差別しない」という考えを持っていて、猫を無理に訓練することなく、自由気ままな存在として尊重していたにゃ。
これって、猫族から見ても最高に嬉しい姿勢にゃん🐾。

とはいえ二葉亭先生は猫だけじゃなく犬も大好きだったそうで、犬と猫の両方を慈しんだ動物派文豪でもあったにゃ。
そんな価値観は、彼の文学スタイルにもつながり、「人と人との関係を公平に描く視点」に影響を与えていたといえるにゃん。

二葉亭四迷は、人と猫を“平等な仲間”として見ていた稀有な文豪
その姿勢は現代の動物愛護にも通じるものがあるにゃ✨。

まとめにゃ🐱

こうして眺めてみると、日本文学の文豪たちはそれぞれ犬派と猫派に分かれつつも、深い愛情で動物と共に生きてきたことが分かるにゃん。

夏目漱石や川端康成のように犬と心を通わせた作家もいれば、内田百閒や谷崎潤一郎のように猫を文学のインスピレーションにした人族もいるにゃ。

そこには単なるペットとの暮らしではなく、動物を通して人間の孤独や優しさ、美や自由を描いた豊かな文学的視点が広がっているのにゃん。

ルリマの目線からすれば、犬と猫どちらも文豪たちの心を映す鏡だったにゃ。
犬には忠誠や共感、猫には気まぐれや自由の象徴が重ねられていて、作品世界を彩っているのにゃん。

だからこそ、この本『文豪と犬と猫 偏愛で読み解く日本文学』を手にすれば、犬も猫も、そして日本文学ももっと大好きになれること間違いなしにゃ🐱✨。

ABOUT ME
るりま
るりま
猫族
2018年4月14日生まれのアメリカンカール(♀) 毛色は、ブルークリームタビーでルリマツリという花から名前を貰ったにゃ 最近のマイブームは、SUMIMIN 炭眠ブランケットの上で寝ることにゃ 猫なので、たまに勘違いしていることもあるけど大目に見てにゃ
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